知る人ぞ知る、富山県の秘湯を紹介

全国各地に点在している温泉、その中でも実は秘湯中の秘湯が勢揃いしている県として、マニアの間でも有名なのが富山県だ。ここにはかの戦国武将が愛したと言われる温泉もあれば、徒歩や自動車では行くことの出来ない秘湯などもある。そんな富山県の温泉事情を紹介する、ここはそんなサイトとなっている。

温泉

現代で富山県の温泉といえば

温泉史についての話を参考にすると、本来なら富山県も温泉地としてもっと賑わいを見せても良いのではないか、なんて思ったりもする。明治の話とはいえ、その頃には観光資源として一級品の仕上がりにもなった温泉郷が今となってはあまり知られていないというのも何だか物哀しい。経済的な面でかつての勢いを取り戻して欲しい、そう願っている人もいるでしょうが、そうした心配を気にする必要もない温泉街も富山県には存在している。

立山温泉に関してはその歴史を考えると一番の絶頂期は江戸時代となっていますが、今でも知る人は知っている名湯としての地位は存在しています。では小川温泉や山田温泉かという話になると、また違う。ではどこが現代の富山県で温泉といえば、といったようなフレーズが似合うのは『宇奈月温泉』の存在だ。宇奈月温泉と言ってもそれこそ数えきれないくらいではありますが、まずはそんな温泉の概要から取り上げてみよう。

富山最大の温泉地

宇奈月温泉と言われて頷く人も多いのではないでしょうか、何せここは現代の日本において富山県の中でも最大規模の温泉地として有名すぎるくらいの場所だからだ。温泉もそうだが、他にもトロッコが有名と言われている。これには宇奈月温泉が存在する黒部峡谷を走行する鉄道の存在もあるからだ。トロッコに乗れる機会など考えたら早々無い、電車とはまた違った乗り心地となっているのでそれ目的で訪れる人も多い。昼間はゆっくりトロッコで渓谷を眺めて、夜はゆったりと温泉に浸かるというからたまらないでしょう。

ここも訪れる人は毎年訪れる温泉郷として有名で、先ほど紹介したランキングとは別の調査では日本全国数多ある温泉の中で55位というランキングを獲得している。先ほど話した温泉地と比べれば些かブランドは見劣りしているように見えてしまうのは難点ですが、それは致し方無いでしょう。熱海や別府温泉郷などといった場所は普段からメディアで取り上げられているほど、誰もがその地名を存じ上げている場所なので、宇奈月温泉がそれより10歩くらい後に続く程度なのは無理もない。ですがこれにもきちんとした理由は存在しているのです。

開拓されたのは

どうしてここまで大きな差が開いているのかと考えてみる、富山県の温泉史でも一番古くは関が原の戦いがもう少ししたら開戦するという時代にまで遡りますが、宇奈月温泉のみの歴史ではその起源は今からちょうど100年前に遡る。その頃にはすでに富山県の温泉地としてブランドは当時から折り紙つきでしたが、宇奈月温泉はそれに続くように後から開発された温泉だったのです。始まりは様々な思惑が交錯する中での黎明でしたが、ここでもやはり自然災害という脅威により曝されてしまった。ここでは地震ではなく、台風による被害によって観光資源として活用するはずが閉湯せざるを得なくなってしまったのです。災難過ぎるスタートですが、何とか翌年には再度温泉地として別の企業により開発が引き継がれた。この瞬間、宇奈月温泉としての原点が本当の意味で始まりを告げるのです。

この頃には温泉というものが、保養や療養といった趣旨で利用されるべくものとしての存在から、観光という側面に応用することにより大きな経済効果をもたらすものとしての価値観が構築されてしまった、という不幸的な側面も感じさせるスタートとなる。実際、再開発を受け持つこととなった企業の思惑は果てしないものでこれみよがしに利益重視を狙った開発計画が進んでいった。ある意味どす黒いものを見させられる瞬間だが、これが企業のやり方といえばごく自然なのかもしれません。

利用目的として

宇奈月温泉を開拓する上で当時再開発の権利を勝ち取った企業が目指したのは、一石三鳥を狙った計画だった。その内訳として、

  • 温泉地として開拓することにより、当時目的で訪れる人を確保する
  • 鉄道を開発することにより、資材搬入はもちろん観光客も利用できるようにする
  • 現場スタッフが福利厚生として利用できる施設としての意味合いを持たせる

という点だった。誰から見てもお得であり、温泉が本来持ちえる湯治も決して失せない利用方法を確立していこうとして開発は進められていった。だがその開発もある大問題が巻き起こる、戦後に共同浴場近くにあった土木作業現場から出火した火が大火となりそれまでに造られた温泉街が、ほぼ灰燼と化す大惨事を招いてしまったのです。全く笑えないどころか、未曾有の緊急事態と言っても良い。

しかしそれでも諦めること無く復興作業を続けたことで宇奈月は戦後以降に驚異的な発展を遂げることとなり、富山県でも代表的な温泉地として疲弊していた日本人の心を癒やす名湯として知られていったのです。この頃になると峡谷を走るトロッコを利用する観光客も増え始めていき、少しづつではあるが各地から観光客が増えていった。今でこそしっかり温泉街として成立している宇奈月温泉、温泉を利用した噴水があることでも有名ですが紆余曲折を経験しながらも何とか経済的に成功した例である、そう言えるでしょう。