知る人ぞ知る、富山県の秘湯を紹介

全国各地に点在している温泉、その中でも実は秘湯中の秘湯が勢揃いしている県として、マニアの間でも有名なのが富山県だ。ここにはかの戦国武将が愛したと言われる温泉もあれば、徒歩や自動車では行くことの出来ない秘湯などもある。そんな富山県の温泉事情を紹介する、ここはそんなサイトとなっている。

温泉

立山温泉について

立山温泉について触れてみましたが、もう少しこちらについて奥深くまで話をしてみようと思います。温泉を愛する人ならやはり時代背景も知っておくとより好きになれるのではないでしょう。現在でこそ富山県の温泉地として立山温泉は正直、さほど有名な温泉郷というほど観光客が訪れるような場所ではありません。ですが廃湯されてしまった立山温泉の歴史というのは今から400年以上前まで遡ることが出来るのです。そう、日本で言えばおよそ豊臣秀吉が天下統一を平定し、徳川家康が今か今かと牙を研ぎ続けていた頃の話だ。

その当時には既に日本人にも温泉、というよりお風呂に入るという習慣が貴族や武士に関係なく、庶民にも広がっていたので発見された時には多くの地元民が歓喜に打ち震えたのではないでしょうか。ただ正式に温泉地として整備されるのはそれからおよそ200年程先となっているので、発見されたばかりの頃はまだ殆どの人に知られていない、まさに秘境といった温泉だったのです。地元の人しか知らないような温泉だったため、まだその頃は観光地としての資源として利用されるのではなく、療養や保養を目的とした湯治をするための場所だったといった方が適切かもしれません。

このままゆっくりと多くの人に知られない温泉地として地元の人達に愛される場所となっていくかと思いきや、立山温泉を始めとした富山県の温泉の隆盛は中世ではなく近代以降からが凄いのです。

かつては北陸最大とも言われていた

立山温泉もそうですが、現在でこそ日本全国の現代版人気温泉地という触れ込みでは富山県の温泉地がピックアップされることはそうありません。ですが、明治時代においてはその発展ぶりは目覚ましいものがあり、北陸地方においては最大規模とまで言わしめるほど観光資源として発展を遂げたのです。ちなみにその当時最大とまで言われた温泉地は『小川温泉』と『山田温泉』の二種類が該当する。ただここもかつては地元の農民たちが疲れを取るために利用されていた‘だけ’の場所だった。まさしく湯治こそ目的として利用することが、何よりの楽しみでもありました。

それが激変したのが明治時代であり、観光資源としての側面を持つようになっていったのです。地元の人達にすれば、多くの人が賑わうことに賛成する人もいれば、同時に反対する人もいたはず。おそらくは大抵の農村は後者の反対意見だったのではないかと考えられる。理由には、人が多く訪れたからといって自分たちに何か利益が生まれるわけではなく、それで得をするのは一部の人間でしかないからだ。それはそれで考えなくてはならない問題ですが、温泉地を観光目的に作り変えるのは実際大変な作業を要することをご存知でしょうか。

温泉地の特色

温泉を観光とする、これは大変良いことだ。実際、現在の日本で栄えている温泉宿を見れば分かるように誰もが自分たちのためだけに温泉を利用している、そういう人はいないはずだ。あらかたの温泉は観光資源として成功していますが、それも技術的にそうした側面を持たせることに成功しているからだ。失敗なんてするのかと言えば、そんなことは当たり前だと一言付け加えておく。元々温泉地には先程話した、『療養と保養』という2つの目的あってこその場所なのです。そして温泉の源泉とも言える場所は決まって山奥にある。

そう、温泉を観光資源として利用するためにはそれなりの開拓資金を要するため、それらが潤沢にかき集められなければ観光という意味合いで温泉を提供するなど不可能となっている。そういう点で当時北陸でも最大規模だと言われていた富山県の温泉は代表的な成功例でもあり、失敗しなかった良い例としても経済学的な視点で重要だと考えられている。中々奥が深い話だ、ですが観光として成功したもののその後立山温泉を襲った廃湯という事故がどれほど大きなダメージを与えたかが理解できるはずだ。

廃湯された経緯について

立山温泉が廃湯せざるを得なくなった経緯についてですが、これは1858年に起きた『飛越地震』がその大きな原因となっている。この地震は約M7.0規模の巨大地震だったのではないかと推測されていて、自然被害もそうだが、人的被害も決して安くはなかった。また発生したのが真夜中の深夜1時という、当時の人にすれば起きている人が存在しない時間での事故だったこともあるが、それでも現在ほど人口が密集している時でもなかったものの、1,000人以上が死傷する大惨事となってしまう。

この地震が起因となり、源泉付近でも土石流が発生してしまったことで温泉地そのものが壊滅する未曾有の被害となり、絶望的だったと言っても良い。かつては立山信仰の拠点とも言われて江戸時代には賑わっていた場所も、一夜にして全てが泡と化して消えてしまった。ただそうした被害もその10年後に発見された源泉により、何とか復興への兆しを見出したのだから天に見放されていなかったのでしょう。

かつては北陸はもちろん、日本でも超有名だったと言われる富山県の温泉録、研究材料としても実に奥深い内容がそこには秘められているのです。