知る人ぞ知る、富山県の秘湯を紹介

全国各地に点在している温泉、その中でも実は秘湯中の秘湯が勢揃いしている県として、マニアの間でも有名なのが富山県だ。ここにはかの戦国武将が愛したと言われる温泉もあれば、徒歩や自動車では行くことの出来ない秘湯などもある。そんな富山県の温泉事情を紹介する、ここはそんなサイトとなっている。

温泉

実は知る人ぞ知る名湯

温泉は古き好き日本の文化であり、日本人がお風呂好きになった因果としても成立から摩訶不思議だ。現代人の憩いの場もあり、普段セクハラを受け続けている人や地味な仕事に対してもっとメリハリの有る仕事を求めてやまない人、自分はまだまだ出来ると信じて夢へと突っ走っている人、といったように一部の人は除いて働く社会人にはまたとないリラクゼーション空間だ。筆者もここしばらく温泉を利用していないので足を運んでみたいと思うが、思うように時間は取れないので自宅のお風呂だけでもゆっくりと入浴するよう心がけている。本当に、お風呂に入るという健康的な文化を作り上げてくれた先人たちには感謝の言葉が足りないくらいだ。

現代人でこれなのだから、日常的に毎日とは行かなくても定期的にお風呂を利用するようになっていた時代でも平民や武士などに関係なく、温泉が近場にあれば利用されていた。それは日本史の中で誰もが名を知っている有名人も例外ではありません。そんな誰もが知っている歴史上の人物が愛してやまなかった温泉が、ここ富山県にあるのを知っているでしょうか。その有名人とは、戦国時代において甲斐の虎の良きライバルだったとしても描かれることのある『上杉謙信』だ。上杉謙信が生前好んで利用していた温泉が富山県にあるわけだが、その温泉とは『生地温泉』のことである。

宇奈月温泉とはまた別の意味で有名な場所となっている、温泉街として完成された宇奈月温泉もその歴史はある意味波乱万丈でした。ただこの生地温泉についてもどうして上杉謙信が好むようになったのか、という点についてはとても数奇なものだった。

上杉謙信の命を救った湧き水

上杉謙信の愛する生地温泉の由来を調べてみると、言い伝えによればかつてここには温泉と呼ばれるものは存在しなかったというのです。何がどうなっているのかというと、伝承においては上杉謙信は当時北陸の様子を探るために自身も含めて家臣たちとともに黒部川を超えて、越湖に至った時に脚気を患ってしまった。今でこそ治らない病気ではありませんが、当時はまだ医療技術も未発展だったこともあり、命を落とすケースも少なくなかった重篤な病気として見られていたのです。

家臣たちも弱りゆく謙信公を助けるため、新治神社が霊験あらたかとして名を馳せていると耳にして祈願した。するとその夜、上杉謙信の枕元に突如として白髪の老人が告げたのです。それは卯の時に白鳩の導きによって止まった場所で地中を穿てば清水が湧き出てくる。これで入浴すれば‘必ず’病気が治るといって姿を消したという。不法侵入の老人が話した、どうにも怪しいお告げを耳にして半ば現実を受け止められなかった上杉謙信だったが、試してみる価値はあると判断したのです。

指定された時間に起きて、偶然にもいた鳩が赴く先で地中を掘った先から予言通りに水が出てきた。そしてお告げの通り、その清水を使って数ヶ月養生したことで危篤状態だった上杉謙信は完治したという。これに大変喜んだ上杉謙信はここ霊泉地に、後に松の巨木『上杉謙信植の松』と呼ばれる木を植えて北陸の地を立ち去ったと言われているのです。歴史、特に戦国時代を愛してこの上ない人にすれば、ここ生地温泉は是非とも足を運んでみたい場所なのかもしれません。ですがそのブランドから知る人が多いので、予約するのも少し難しいのでお早めに。

実は

そんな生地温泉ですが、実のところ一度廃湯されていたことを知っているでしょうか。これは別段自然災害によるやむを得ない状況ではなく、地籍論争という社会的な問題に見舞われてしまったのです。上杉謙信公、それも命を助けられたゆかりの地であり、そして霊泉の効能を耳した真言宗の僧によってここに欲情を作るようにと現地に住んでいる村人に命じた。浴場を建設して隆盛する、と思いきや先に話した地籍論争に巻き込まれてしまったのです。

ここでいう地籍とは何かですが、要するに浴場を設置した場所は土地的に建設してはダメだと所有者がはっきりと言ってしまったために、名湯は一度その歴史を完全に閉ざしてしまったのです。名湯らしからぬ顛末ですが、その後は何とか復活を遂げた。そしてこの浴場を再建する際に、改めて名称を変更することで新たなスタートを切り出すことに成功する。それが『生地温泉』であり、上杉謙信公がかつて愛した温泉としても名を馳せるのです。

もしも

有名人、それも歴史上の偉人が愛したと言われる由来があっても、土地的な権利問題が絡んでしまうとたちまちそんなこと知ったこっちゃないとして余波を受けてしまう。浴場が一度潰れた事を考えると、何ともいえないシュールさがここにはある。もう少し丁寧に敬えよと言いたくなりますが、多分当時は観光資源ではない、療養や保養目的の温泉だったから資源として価値はない、そう判断されてしまったのでしょう。

上杉謙信もそういう意味では勝てない相手は多すぎたといっても良いかもしれません。